会社概要
会 社 名
| 株式会社 ニライカナイ建設
|
所 在 地 | 〒901-0146 沖縄県那覇市具志2-22-13 |
電 話 番 号 | 098-857-6301 |
FAX番号 | 098-859-1578 |
代 表 者 | 代表取締役 宮平保幸 |
設立年月日 | 1964年(昭和39年)12月8日 |
資 本 金 | 4,000万円 |
従 業 員 数 | 10人 |
業 務 内 容 | 総合建設業(建築・土木):一般住宅、新築・増改築、建築工事全般
一級建築士事務所 :一般設計業務、風水・家相学を取り入れた設計
風水を取り入れたリフォームプラン
「ゼロ宣言の家」の設計
欠陥住宅診断及び対策相談
|
免許・許可登録 | 沖縄県知事許可(般-22)第00944号 一級建築士事務所 沖縄県知事登録第196-2873号 日本住宅保証検査機構(JIO) 建物完成引渡保証 |
取 引 銀 行 | 琉球銀行、沖縄銀行、JAおきなわ、海邦銀行 |
主な顧客 | (1) 設計及び施工を依頼して頂くお客様 (2) 基本設計(風水を取り入れた設計)のみの依頼(主に県外からのお客様) (3) 施工を受けさせて頂くお客様(当社以外の設計事務所からの発注) (4) 風水・家相にもとづく住宅診断のお客様 (5) 風水を取り入れたリフォームを施工させて頂くお客様 (6) 公共工事(沖縄県、那覇市、豊見城市等) |
弊社創業者(故)設立理念
会社沿革 (最近のトピックス)
2012-05-24
2012-05-04
RSS(別ウィンドウで開きます) |
会社沿革 〜2010年(平成22年)まで
■2010年(平22年) | 9月 現在のホームページへリニューアル。 |
■2002年(平14年) | 一級建築士事務所 登録 |
■2002年(平14年) | 品質保証国際規格ISO9001:2000認証取得 認証番号 NIAC QA-020 (建築工事及び土木工事の設計・施工) |
■2000年(平12年) | 個人住宅 上江田邸(GA2設計事務所:所長宅) 以前のホームページの表紙を飾っていた物件です。傾斜地に建つなかなか手の込んだ建物でした。 |
■1995年(平07年) | 商業建築物 とまりん駐車場棟 大規模な建築物でしたが、軟弱地盤(港湾内)の為、基礎工事の技術力が要求されました。 |
■1994年(平06年) | 集合住宅 大高産業ハイツ 当社で手掛けた集合住宅で初めての打ち放しの建物でした。コンクリート打設時の技術力の高さを要求されます |
■1992年(平04年) | 商業建築物 カラオケハウス『サラダハウス』 当時としては本格的な音響設備を整えた建物で数々のノウハウを蓄積することができました |
■1988年(昭63年) | 公共建築物 大里県営団地(第四工区)初めて公共団地の施工を手掛ける。 |
■1987年(昭62年) | 公共建築物 那覇市立城西小学校プール棟(都市景観賞受賞作品) |
■1982年(昭57年) | 5月1日《有限会社 宮平組》として商号登記し、会社法人組織として会社成立。 |
数々の物件を手掛けさせて頂きました。 おかげさまで個人邸、集合住宅等あわせて数百件にも及びます。 ありがとうございました。 |
■1966年(昭41年) | 新築の個人邸を初めて受注 |
■1964年(昭39年) | 12月8日 宮平組として会社を立ち上げる。 創業者: 宮平保次郎 主にリフォームや下請けの工事を始める |
交通アクセス
沖縄県那覇市具志2-22-13
弊社創業者(故)
弊社創業者(故)設立理念
皆様に支えられて約半世紀。
これからも、地域に根差した、皆様に愛される企業でありたいと思います。
『 あくまでもお客様第一主義 』
宮平組の創業は昭和39年12月8日です。今から、40年以上も前のことです。
沖縄が祖国復帰をするずっと前のことです。
ちょうど私が29歳で建築免許を取得したのを機に勤めていた工務店を辞めて、兄弟3人で始めた小さな会社でした。
今では、兄弟会社の宮平重機を合わせると30名あまりの社員を抱えるまでになったのですが、設立当初は下請けやリフォームだけでやっていたので、細々と必死な思いで夜中まで働きづくめで毎日が大変でした。
何もない時代でしたが、夢や希望は誰にも負けなかった気がします。大変でも、毎日が楽しかったと思います。
社をどんどん大きくして、沖縄のために頑張ろうといつも考えていました。
創業から3年目に一戸建てを手掛け、やがてビルなどの規模の大きな工事や公共工事もやらせて頂けるようになり現在に至ります。
現在、実質の業務は息子3人に任せており、まだまだ若輩者で心配な面は多々ありますが彼ら若い者たちにかじ取りを任せるようになってから会社の方向性も変化が出てきたように感じます。若い感覚で常に新しいものに取り組む姿をみながら、私は昔堅気の古い頭ですから(笑)、心配になることもしばしばありますが彼らの持つ新しい技術や考え方、感覚は大歓迎です。
おかげで、弊社のレベルも以前よりずっとアップした気がします。
ですが、創業当時から変わらない、いや、変わってはいけないこともあります。
それは、会社の精神です。建物と言うのは人間が生活をする上での一番基本となるもの。
おろそかにすることはできません。それを手掛ける仕事をさせて頂けるのは大変な責任を感じます。
ですから、あくまでお客様第一主義。
誠意をもって、一つ一つやらせて頂いております。建築を通して地域への貢献を果たしていけば、そう考えております。
これからも、地域に根差した、皆様に愛される企業でありたいと思います。
『 あくまでもお客様第一主義 』
宮平組の創業は昭和39年12月8日です。今から、40年以上も前のことです。
沖縄が祖国復帰をするずっと前のことです。
ちょうど私が29歳で建築免許を取得したのを機に勤めていた工務店を辞めて、兄弟3人で始めた小さな会社でした。
今では、兄弟会社の宮平重機を合わせると30名あまりの社員を抱えるまでになったのですが、設立当初は下請けやリフォームだけでやっていたので、細々と必死な思いで夜中まで働きづくめで毎日が大変でした。
何もない時代でしたが、夢や希望は誰にも負けなかった気がします。大変でも、毎日が楽しかったと思います。
社をどんどん大きくして、沖縄のために頑張ろうといつも考えていました。
創業から3年目に一戸建てを手掛け、やがてビルなどの規模の大きな工事や公共工事もやらせて頂けるようになり現在に至ります。
現在、実質の業務は息子3人に任せており、まだまだ若輩者で心配な面は多々ありますが彼ら若い者たちにかじ取りを任せるようになってから会社の方向性も変化が出てきたように感じます。若い感覚で常に新しいものに取り組む姿をみながら、私は昔堅気の古い頭ですから(笑)、心配になることもしばしばありますが彼らの持つ新しい技術や考え方、感覚は大歓迎です。
おかげで、弊社のレベルも以前よりずっとアップした気がします。
ですが、創業当時から変わらない、いや、変わってはいけないこともあります。
それは、会社の精神です。建物と言うのは人間が生活をする上での一番基本となるもの。
おろそかにすることはできません。それを手掛ける仕事をさせて頂けるのは大変な責任を感じます。
ですから、あくまでお客様第一主義。
誠意をもって、一つ一つやらせて頂いております。建築を通して地域への貢献を果たしていけば、そう考えております。